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◆吉野で、行われている年中行事を順を追って記したが、抜けているものもあると思うが、また忘れたり、経験していない事、
見落としていることなどについては、文献を見て修飾した。
 
(29)山の神
 「山の神」 江戸時代から続いている家には、各家の側に、小さな神明造りの木の祠の中に 「山の神」を祀ってあった。 
「山の神」の祠の周りは殆ど真箆(マノ)が生えて又たは植えてあった。
 
「山の神様」は大昔は、その家がそこへおちついて以来自分のひらいたた土地だ、という心持ちからこの神をまつって守って
もらっているものであり、やく四百年前のお墓が出来る以前は死骸を林の中などに埋めていたらしい。
 
其のころは「山の神」に先祖を祀っていたという説もある(ふるさとの生活・宮本常一・講談社文庫)昭和になっても「山の神」
の祠は残っていたが?。真箆は矢だけのなかまで縄文人は鍍をつけて、弓矢に使っていたものである。
この植物は吉野付近の自然の山野には自生している所が見当たらない、 「山の神」に随伴しているということは何故だろ
うか?。 『いざろ』の緑を巻くときに使っていたが、それだけの理由では無い何かがある?。
 
大胆にに推理してみると、この真箆(マノ)《写真a》は他所から持ってきて移植して、増やしたものと考えられ、縄文時代からの
狩猟で弓の矢に使っていたもので特に大切な弓という道具を加工するための材料であった。
『のまねやぶ』(の真箆薮・ノマノヤブ)も神様を配っていた場所であったらしいが、神と一緒の場所に置くほど生活上大切な
植物で有ったものと考えられ、吉野縄文人→和人→現代人へのつながりがあることの証とするものの一つであることも想像
される。
 
 
記事:
<「山の神」の写真を今度帰った時撮ってくる>
◆「山の神」 の件はオレの家の裏の方にも、「山の神」を祀ってあった(何の神か知らなかったがこの小史初めて判った)
 また、上記記述と同じように、その近くには箆(マノ)が生えてまたは植えてあった。
 
<a.真箆(マノ)>
Webで調べたが、真箆(マノ)と言う植物は出てこない。地方独特の名前らしいが、
どんな竹・又は笹が判ら無いので、絵で調べたらマノは正式名は「矢竹」と言うらしい。
 
したがって、写真としては「矢竹」を載せました。この写真と自分の覚えている「マノ」は
は葉っぱや背丈も同じであり、正式名「矢竹」でOKと思います。
 
Webで調べた「矢竹」は、節間が長く、茎の断面が真円に近い竹。和弓の矢の材料に
使われることからこの名が付いた。大きな物は太さ20mm以上、高さ 3〜4m位に
成長する。ヤダケ(矢竹)は常緑多年生のタケ亜科の植物の一種である。
竹と付いているが、成長しても皮が桿を包んでいるため笹に分類される。
以上ですが、これは真箆(マノ)です。
 


 
 
 
 
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