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(16)花祭り
 旧四月八日は『卯月』と言った。 花祭りのことである(お釈迦様の生まれた日、灌仏会とも言う)子供たちは、臨川寺へ
「甘茶」を貰いにいった、朝早くいくと一番茶と言って甘いお茶が貰えた、ずるをして遅くいくと甘みの薄いものになった。
 
子供たちは学校から帰ると山に行き、木の枝を切って小屋を作り甘茶を飲んだり菓子を食べたりして遊んだ。
 
◆昔(お寺が始めるまえは)は、・卯月八日は山登りの日とする習慣が広く行わ心ていたらしい、またこの日花を神に捧
げる風習もあった。木曽の村々でも家の戸口に躑躅を打ち付けていたらしい。 
 
(17)斎忌(モノイミ)の始め
 旧の四月八日は五月田植えの季節の祭りのためにする斎忌(モノイミ)の始めの日で、農民の大切な米作安全の祈祷
のため行われた五月上旬の端午の節句の前段てきな行事だとする説もある。
 
(18)田の神祭り
 田の神祭り、六月初旬には田植えが終わると、苗代田の畦に苗代に差しておいた柳の枝を三本「わたし(囲炉裏で餅
などを焼くとき使った鉄の台)」のように折り曲げて祭壇台を作り、洗った三束の稲苗、小豆飯などを供えて田の神様の依り
代を設け田の神様を祭り、豊作を祈った。このあと種籾の残りを抄って作った「やこめ」と言う堅い抄り米をよく食べた。
 
(19)へウルイ採り
 田植えが終わると、風越山『へウルイ』《写真a》などの山菜を取りに行ってカマスに一杯背負って帰った。
ウルイは「荏」(工は古くからの言葉、今はエゴマと言う、縄文時代に有ったと言う説もある)を摺って、味噌と混ぜ和えて食
べた。美味である。
 
 
記事:
(16)旧四月八日の花祭りには、お寺に行って「甘茶」を頂いて飲みました。
(17)(18)は記憶に無し。
 
(19)ウルイは、味噌汁に入れたり和え物でよく食べた(食べさせられた)が、マッタク味のない、マズイ草だった記憶がある。
<a.ウルイの写真>

ウルイは、 平地から山まで広い地域で見られ、正式名はオオバギボウシ。
ぬめり感が食通に愛され、舌触りにも感動。ゆでるといっそう味が出て、おひたし、
和え物、炒め物など用途もいろいろです。
葉柄を含めた葉がまだ広がらない葉身を若いうちに採取が食べころ。
 
 
葉柄のみを軽くゆでてから天日で干したものを「山干瓢」といい保存食にする。
これは戻して煮物にする。


 
■6月5日は子供の日だった
この「吉野小史」には書いてないが、オレの子供の頃には5月5日から一ヶ月遅れの6月5日が子供の日で、お袋がこの日に
ほお葉巻きを作ってくれた。(一ヶ月遅れの理由は、木曽は5/5はまだ若葉が出ておらず、ホウの木の葉っぱ大きくなった
時期で、山菜も取れる春爛漫の一番いい時期が6/5頃です)。子供のころ食べた小豆の一杯詰まった、若葉の香りがする
「ほお葉巻き」は大変美味しく忘れられないお菓子です。
 
その後オレは吉野を出て東京方面で暮らしているが、毎年6月5日頃になるとお袋が「ほお葉巻き」を送ってくれました。
そのお袋は数年前に94歳で亡くなって、田舎の「ほお葉巻き」を食べれる話は終わると思っていたが、こんどは兄貴が毎年
お送ってくれるので、毎年美味しい「ほお葉巻き」を食べる話は今でも継続しています。
(余談ですが、暮れの「餅」と6月の「ほお葉巻き」を送って来る話は50年以上続いています。一般的には両親が亡くなると
 途絶えると聞きますが、我が実家では兄貴・姉嫁が継続してくれている事を感謝しています)。
 
<b.ほお葉巻きの写真>


ほお葉巻き 米の粉を練った餅にあんを包み、朴ほおの葉で包んだ
和菓子。朴の葉に包んで蒸すことでとても香り豊かに仕上がります。
朴の葉が採れる5月末〜7月下旬頃の季節限定のお菓子なのでと
ても人気がある。


 
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