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(2)おひまち
 六日には村日持ちがあった、『おひまち』は当番の家に集まり、別の神棚を設け、松、榊(ショゴイという木で代用した)
しめ縄を飾り、桧の板に火揉みの(ムラサキシキフの木)棒を強く擦り付けて、火を起こした火を灯明に移して灯した。
 
祝詞をや般若心経をあげて、豊作、無病息災を願った、其の後は煮しめで酒を酌み交わし歓談していた。子供たちも集まり、
別の部屋のコタツで、カルタ、花札、双六などをして遊んだ。越し伯母(この人は一生独身)が玩具や福引などを売りにきて
いた。
 
(3)七草
 七日は七草の日でセリや大根の入ったお粥を食べた。
 
(4)厄落
 十四日の深夜には、厄年の人(男25歳・42歳、女19歳・33歳)が厄落としのため、神社、お堂、石仏、の別れ道などに銭を
撒いて歩く風習があった。子供たちは十五日の早朝競って落ちている銭を拾った。一銭銅貨か五銭銀貨が主で十銭は
滅多に拾えなかった、其れでも正月の小遣い銭になった。
 
 
記事:
『おひまち』は小学校低学年頃はまだあった。自分の家が当番に当たる年には、近所の大人が集まり酒を飲んでいた。
子供も一緒について来て、この日は夜遅くまでコタツで遊んだ記憶があります。ただし、中学校になった頃には『おひまち』
の行事は無くなっていた。
 
十四日の深夜に、厄年の人がお宮などに銭を撒く話は、幼少のころはあり、「お宮」や「塞ノ神」へ銭を拾いに行った
記憶があるが、何時の間にか無くなっていた。
 
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