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●さわがに
・『さわがに』 彼岸過ぎから六月の産卵時期前までは、『さわがに』を取って醤油で抄るように煮て食べた、『さわがに』の
棲んでいた場所は湧き水の出る小さな沢で石の下である。石を外して大きい物だけ取った。子供は取った場所の側で
缶詰の空き缶に入れて煮てて食べた。シュツぺノのうらの小沢やよこねのうえの小沢には特に沢山居った。
 
●でんでんむし
 『でんでんむし』六月桑畑へ行くと、桑の葉のうえに白い穀の真ん中にシアン色の筋が入った小型のカタツムリが留まってい
た。これを集めて来て、穀の入り口から塩を詰め込み、熾きの上に乗せて焼くのである、焼き上がったら手で穀を剥いて中身
を食べた。香ばしくて美味なり。
 
●はち
 『はち』 夏の終わりから秋口にかけて、『はいばち』取りをする人が居た、蛙の皮を剥いて棒に挟んで立てて置き、蜂が蛙
の肉を切り取って巣の方に持ち帰るとき、白い粉を掛けるか真綿を付けて良く見えるようにしておいて、蜂が飛び去る後を
追って行き巣の場所を突き止め、セルロイドを燃やして燻し、蜂が麻痔したころ堀り出して取る。此れも砂糖、醤油で抄るよう
にして煮て食べたり、蜂の子飯を炊いたりして食べた、美味で強精剤的効果が有るとされていた。
 
此のほかに、アシナガパテ、赤蜂、等も取って食べた。赤蜂やスズメパチは家の屋根裏に大きな巣を作り恐れられた。
蜂に刺された時は薬が無.いので、小便や歯くそ、ちん○のかす、などアンモニヤ成分のあるものを付けたりしていた。
 
●どんびき
 『どんびき』 「ほんばし」から流れてる沢の日陰や堤の側などには、春になり交尾が始まるころになると、「どんびき」 
(ヒキガ工ル)が沢山出て来た。これを捕まえて皮を剥き頭を糾ねてからぶつ切りにして野外で味噌炊きにして食べた。
苦い胆嚢を欲しがる老婦もいた、干して置いて胃薬にするのである。
 
『どんびき』 のイボから噴出する乳白色の汁が目に入ると、目が潰れると言われて居たので非常に危険視されて居て、
頭を観ねる役は常に、がき大将が受け持って居た。
 
●蛇
 『へび』シマヘビやマムシは食用にした。マムシは少ないがシマヘビは比較的多くいた。蛇は皮を剥いて頭を刎ね、棒に、
巻き付けて焼き醤油を付けて食った。マムシは焼酎に浸けておき、熱取り、傷口の消毒、飲んで精力剤、などにした。
皮は干して傷薬、熱さまし、目ん玉は強心剤などに効果が有るとされていた。
青大将を食う人も居たがやまっかちはだれも食べなかった。
 
記事:
<a.さわがに写真>


捕ったカニはカンズメの空き缶に入れ茹でて食べました。
茹でると赤くなり大きな爪も含め丸かじりするが、香ばしくて美味しかった。


<b.でんでんむし写真>


『でんでんむし』は焼いて食べたが、大人に成ってからフランス
でもカタツムリを食べることを知り、『でんでんむし』を食べる
のは特に珍しい事ではないと思うようになった。


<c.はち写真>


『はち』の子は小さい頃からよく食べたが、蜂の子飯は特に美味しかった。
写真は「キイロスゼメバチ」ですが、田舎では「アかバチ」言っていますが、
普通夜に捕りますが、TVで見るような網を被った重装備はみたことが無い。


<d.どんびき>
『どんびき』も近所の子供が集まって、夕方近くに捕ってきてた。鍋、味噌、
まな板とナタなどを手分けして持ち寄り、暗くなるなるまで田圃の脇で火を
炊いて煮てたべた。料理方は
 
上記の通りで「皮を剥き頭を糾ねてからぶつ切り」にして味噌で味付けして食べたが、
鶏肉に似た味で美味しかった。(実際の順序は頭を刎ねてから皮をむいた)
蛇は大人も食べ家の中で囲炉裏で焼いて食べたが、『どんびき』は家の中への持ち込み禁止で、子供達が集まって外で
料理して食べたが、大人は食べなかった。また、上記文中の「イボから噴出する乳白色の汁(これがガマの油かな?)が
目に入ると、目が潰れる」と言われていたのはオレの時代も同じで(本当に目が潰れるか不明?)、頭を刎ねるのはオレが
やったが、顔を横に向けて刎ねた記憶がある。
 
<e.へび>

『へび』はシマヘビとマムシは料理して食べたが、アオダイショは苦いと聞いていたので
食べたことはない。内臓も串に巻きつけて焼いて食べたが香ばしくて美味しい。
 
胴体は鉈で3cmほどに切断して串にさして焼いたが、かなりカラカラになるまで焼かない
と骨が硬かった。また、3cmに切断してもまだ動いており、その生命力の強さに感心する
と共に、その生命力の強さが強心剤になるのだと思った。


<f.オケラ>

この小史に記述がなかったが、オケラも普通に焼いて食べました。
 
春先に田圃を起こし、水を入れて耕し始めると、浮いてきて海老のような大きな足
(ハサミ?)を前後させて水の上をかなりのスピード泳いできました。それを追いかけ
回して捕り、囲炉裏の炭に乗せて焼いて食べました。美味しかった。


<g.松食い虫>
この小史に記述がなかったが、松食い虫も普通に焼いて食べました。

囲炉裏で松の木を焚くとき、皮を剥くと松くい虫がいる時があり、その焚き木はそのまま火の中
に入れず、虫を取ってから(Webで調べたら虫の名前はマツノマダラカミキリの幼虫)、燃やした。
 
その幼虫は熾(オキ)きの上に乗せて、こんがり焼き目ができるまで焼いて食べたが、
香ばしくて美味しかった記憶がある。ただし、Webで調べたが「松食い虫」を食べる話しは
出てこなかった。これは木曽吉野地区の特別の話かな?まぁ美味しかったのは事実です。


■以上、小さい頃はい色々な動物を食べました。これも戦中戦後の食料難時代から続いているタンパク源の食料だと思う。
野蛮とか気持ち悪いと言いわれそうですが、これは習慣の問題で、物心ついた時から食べていればそれは当たり前の
事で何の抵抗も感じない。なお、これは山岳近辺の集落のことで、町部の人は蛇など見れば大騒ぎしていた。
 
■食用のカタツムリや食用のカエルも有るらしいが、有料のは食べたことはないので、その辺で捕って食べたのと味の比較
には興味があるが出来ない(金を出して食べる気はしない)。
蛇にについては中国など外国の料理にあるようですが、タイ国にもあって2回ほど食べた、約3pにブツ切にして串に刺し、
内臓は串に巻き付けて焼く、自分の昔食べたのと料理法は同じで、味も同じような気がした。
 
タイで蛇を食った話はもう少し詳しく書かないと真実味が無いので付け加えると、コブラ料理専門店は、バンコクから現地工場
のあったナワナコーンへ行く間にあり、コブラが首を持ち上げあた大きな看板が立っていました。平成1年頃は看板があった
が、3年頃には無くなった。 これは現地の人の話では動物保護団体からのクレームで外したとの事でした。看板は無く
なったが、コブラ料理店はそのまま営業しており、日本から出張で来た方が未経験の蛇料理を食たいとのリクエストがあり、
その店に連れていきました。そこには金網で蓋をした箱の中にコブラが50匹ほど飼っており、どの蛇を料理するか一匹選べ
と言われ、「アライコダイ」(タイ語で何でもよい・どれでもよいと言う意味)と答えました。その店には4人で行ったが出て来た
料理は皆で残さずた食べた。(タイには出向で4年間生活した)
 
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