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●ひかんべら
・『ひかんべら』ほらろ山のてっぺんからすぐ下には、山の神や駒ヶ岳の神様などの石彫りの神を祀ってある場所が有り、
八十八夜の日にはお祭りが有った、豊作祈願などを祈り、ムシロを布いた上に座って重箱に入れた御馳走を食べながら
一杯飲み歓談していた、子供たちも付いて行った。また『ひかんべら』の横道のところに釣り越しの中継場所があり刈り干し
刈りの時期には大賑わいで有った。
 
●きゃらし
・『きゃらし』 『おおばし』 『いちばくぼ』 には炭窯があり、すみを焼く人が居た。炭にする木材は、「かんなぎ」 と呼んで
おり、カエデ、ブナ、ナラ、山桜、ミズメ、桂、はんのき、やしゃぶし、などの木を用いた。木の搬出は、上から捲り落としたり、
横からキンマ(木の橇) で引っ張ったりした。此処にもゼンマイ・ウドが沢山生えていた。大分後には唐松や杉を植えた所
もある。
 
●くりあらし
・『くりあらし』石がごつごつ広がって居る大きな『栗林』で有った。戦時中から戦後にかけて切り倒し、スリッパ(鉄道の枕木)
などにした。昔は栗の実が大量に(何俵も)拾えた、小粒の古いタイプの栗の実だった。多分この栗などが、
鎌倉時代(1300年)の永仁年間に荘園主であった、京都の.高山寺へ持って行った栗ではないかと推察される。
 
(今から700年まえの事である)だとすれば『くりやらし』の栗の木の大量に生えていた山の持ち主は三之助のもので有ったこ
とから、ここで大胆に推定すると、三之助の先祖の誰かが高山寺へ栗を持って行った者の一人であり、既に其のころから
何らかの仏教的な民俗信仰が土着し始めていたものと考えられ、かつ三之助l家の祖先は今から700年前既に存在してい
たことになる。
 
記事:
<『ひかんべら』山の神や駒ヶ岳の神様などの写真掲載予定>
この神を祀ってある場所知っているし見たこともあるが、子供のとき付いていった記憶はない。同じ日に里宮のお祭りが
あり、そちらは野師も出るし子供は吉野の祭りでなく皆里宮の方へ行った。(里宮p2-44参照)
 
『ひかんべら』山の神の写真を載せる予定ですが、比較的最近(2005年頃)、家に帰ったとき『ひかんべら』は、昔は松林で、
マツタケを取った所にマツタケが無いか探しに行ったが、杉林に変わっており松は全然なく当然マツタケも無かった。
その時山頂まで登り、少し平らで広くなっている山の神の祭ってある場所も見たが(カメラ不滞で写真は撮ってない)、石碑
は全部倒れており、数年来人が手を加えた形跡なく、写真は石碑が倒れてた哀れな写真になると思うがそのうち載せたい。
 
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